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ダイビング ライセンスの目的とは?

単なる不換紙幣(インコンヴァーチブル・ノート)ではなく、さらにはっきりと堅く法律で宣言された「フィーアット・マネー」、法定不換紙幣になってしまっている。 フィーアット・マネーこそは、正金・正貨主義の貨幣思想の対極にあるものだ。
フィーアット・マネーは、現代世界の砂上の楼閣の上になりたつ幻想の産物である。 929年10月のニューヨークの株式暴落に端を発して世界中に波及した世界大恐慌(ザ・グレート・ディプレッション)の時期でさえ、当時のルーズベルト大統領は、それに対する一番初めの緊急の対策の法令で、米国市民のゴールド保有を違法とした。
アメリカ国民は、この時の緊急の統制令で、個人では金を保有できなくされたのである。 その理由は、とおり金に対してドル紙幣はどんどん減価(下落)していたからである。
ルーズベルトは、市民による金の自由保有と自由な売買を、目の敵にして、インデックス「金免換制は、欠陥の多い貨幣システムの指標そのものである」として、いろいろの財貨をゴールドと同じぐらいの優れた交換手段である」と宣言した時代とは隔世の感がある。 米国財務省は、あの時、世界を納得させるために、金1オンス弱ドルで、どこの国の政府、中央銀行からの要求に対しても、惜しみなくゴールドを売って渡していた。
1ドルに対して約金1グラム弱である。 現在の価格でいえば、金1グラムは2600円であるから、各国政府が米1ドル紙幣(120円前後)を世界銀行で、「金に替えてくれ」と要求したら、その加倍の時価のある金1グラム弱を、本当に引き渡さなければならないのだ。
この事実が、世の中に知れわたれば震憾に値する。 それから仙年後の、1970年代初めに、ようやく個人によるゴールドの保有が再度合法化された。
ところがその直後に、アメリカ政府は金の価格の正常な形成にいやらしい妨害を働いた。 ベトナム戦争が泥沼化していた。
アメリカ国民は、世界中で信用が低下して、下落しようとするドルからの安全な避難所を求めていた。 だから出来るだけドルをゴールドと交換しようとした。

この人々の熱意を政府はくじこうとしたのである。 そのために、米国財務省とIMFが、何百トンものゴールドを市場に投げ売りして、ゴールドの価格の高騰を冷やして、人為的に低く抑えた。
そうすることで、金価格を何とか安値で固定しようとした。 その時も、自然な経済の法則によって、そのような政府の努力には一定程度の歯止めがかけられた。
金価格は、そのあと、年代を通してどんどんあがり続けたのである。 1980年から2000年までの問も、金市場への人々の熱意を欺くために政府はあれこれの策略を練った。
実行した。 金価格は、1980年の初めから、暴落を開始して即年代、卯年代をとおして、5年間にわたって、ひどい低迷をし、とても信じられないぐらいの低価格となった。
ゴールドのこれほどの信用の低下は、まさに異常と呼べるものだった。 5年以上にもわたって、ひどく痛めつけられた金(ゴールド)は、2001年を境に、回復を始めた。
1オンス(剖・1グラム)が、250ドル台にまでも下げていた。 このような超安値のゴールドであったが、2002年には、300ドル台を回復した。
2003年に入ると、イラク戦争の開始の緊張が続いて、3月11日の開戦の前月の2月5日には、1オンス384.50ドルの高値をつけた。 日本の金市場での、1グラムあたりの金の価格で言うとどうか。

東京の金価格は、大きくは、ニューヨークの金市場の「写真相場」であり、ほぼ正確に連動している。 だから、50年代の終わりの、1998年の最安値では、9月17日に、金1グラムが865円というとんでもない安値をつけている。
市場の閉まる時間の業者間での「手仕舞い」が起きるザラ場での価格では、もっと下落した超安値がついたはずである。 金1グラムが1000円を一気に割っていったのは、この1998年である。
ニューヨークの金の先物価格では、1997年5月17日の、1オンス278.別ドルというのが、安値の節目だった。 どんどん切り下げて、例の有名な「金取引についてのワシントン協定(合意)」があった1999年の9月には、1オンス250ドルあたりの超安値をさまよっている。
その頃は、東京金市場でも、1グラム000円割れがずっと続いていた。 2003年の3月11日の前後から、レアメタル(希少金属)や、各種の鉱物資源の値段が、激しく高騰した。
戦争は貴金属類の市場を必然的に活性化させる。 「戦争をすることで、アメリカの、世界中の景気を刺激して、〃戦争経済(ウォー・エコノミー)〃で景気を回復きせる」というアメリカ政府(ブッシュ政権)の目論見と計画の通伽ソである。
金(ゴールド)は、まさしノ、〃有事の金〃であるから、戦争景気に煽られて、以来、4年間あがり続けて商品先物業者の営業マンたちがこの本を手にして客に営業をして回ったのは有名な話だ。 私にしてみれば全く有難迷惑だった。
「危険な先物業者の一肩を持つS島。 これでこいつも終わりだな」と、私の敵の言論人たちから言われた。
その後の展開を見よ。 私が書いた通りの動きに入ってからだ。
上昇をはじめたのは、2002年からである。 更に金1グラムが1500円を越して、一気にあがりだして、投資家たちだけでなく、一般の人々の評判にまでなったのは、2004年金の価格は、昨年の2006年の5月7日に、東京市場で1グラム2700円ちょうど、という高値をつけた。

同日の5月蘭日のニューヨークのNYMEX(ナイメックス)の金先物市場で、期近渡しの値段で、1オンス725.両ドルの吉同値をつけたことの正確な反映であり、まさしく写真相場である。 この1オンス725ドルを、別・1グラムで割り、それに1ドル16円とかの当時の為替相場を掛けると、どんぴしゃり、2700円になるのである。
このようにして、金価格は、1999年9月のワシントン協定時の、どん底値を境にして、2002年から上がり始めた。 大きな流れとして金価格は、歴史的な反転に入り、上昇気流に乗ったのである。
この大きなトレンド(潮流)を変えることはもはや誰にもできない。 このワシントン協定自身が、大きくはアメリカのロックフェラー石油財閥による、ヨーロッパのロスチャィルド財閥への攻撃であった。
ロスチャイルド系欧州ユダヤ貴族たちは、あまりに金を信奉し過ぎた。 1971年に「金ドル(擬似党換)体制」が滅んだあとの、やむにやまれず成立した「ドル・石油通貨体制」(修正IMF体制。
ロックフェラー石油通になったではないか。 何か言える者がいるなら堂々と表に出て来るがいい。
金は、ロンドンのロコ・ロンドンのロスチャイル家の〃黄金の間″で、本当につい最近まで価格決定されてきたのだ。 だから金は、1オンスで250ドル、1グラムで900円割れなどという、歴史上も笑い話のどん底の安値になっていた。
あの時の、2000年頃の「金をめぐるアメリカと欧州の攻防戦」のことを、日本では、鉱物資源の業界人の専門家や貴金属トレーダーたちしか分からなかっただろう。 6,7年たった今だからこそ、「あの頃の、奇妙な金の暴落の一連の動きは一体何だったのか」と、振り返って考える余裕が生まれるのである。

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